けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

今年の振り返り③ 怒りのコントロールについて

今日は今年の仕事納めであった。ということで仕事の振り返り。

私はここ数年、仕事中の怒りについてあれこれ考えてきた。「怒らない」or「怒った方がいい」という両極端の意見に揺れた。

結果についてだが、仕事については令和6年1月から、仕事中については1度だけしか感情的には怒らなかった。その1度というのは、お客様に対して侮辱的な発言をしていた部下を咎め、その場ですぐにその非礼をお客様に詫びさせるため。だから、今年は怒りをコントロールしていたともいっていいかと思っている。

ただ、怒っていないわけではない。感情的になって大きな声で怒鳴りつけたりしていないだけだ。

今年の4月以降、異動してから暫くは怒りを抑えていて、大人しく過ごしていた。するとどうだろう、やはりというか、舐めてくる人間というのはいるものである。そういう人間に対してはちょっと様子をみたが夏以降は毅然とした態度をとった。要するに相手の非礼について説明を求めた。それ以降その人間とその仲間ら仕事以外で口をきいていない。相手もこちらの怒りというのは気づくものだろう、話しかけても来ない。舐められてまで仲良くする必要もないのでそれでいいと思っている。

怒りの感情を消すことは難しいが、自分にとっての「〇〇するべき」「〇〇するのはおかしい」という自分の価値観を押し通すことは辞めるようにした。

ただし、明らかに間違っていて、かつ、自分に不利益が生じた時はその間違いを指摘している。ただし感情的になって発言していない。頭がカッとなった時はあえて口を閉じて話さないようにした。そして、時間をおいて収まらなければ冷静な態度で感情的にならないように発言した。

相手にとってもこちらの知らない事情、理由、言い分もあるだろう。自分の管轄外のことは管轄の人間が対応すべきだからあえて口を挟むのは避ける。一方的に自分の正義を振りかざすのはなるべく抑える。だが、それで自分が我慢する、というのはやはり違う。我慢はしないようにしている。

問題は仕事のモチベーションが下がってしまうこと。モチベーションが高まる時はやはり自分のやりたいこと、これをやりたいと燃える時でもある。怒りを冷まそうとすると仕事への熱意も冷める。でも自分はそれでちょうどいいのかもしれない。やはり根を詰めすぎというか、やりすぎ、頑張りすぎなのだろうと思うから。

…それにやってもやらなくても賃金が変わらないなら他の人より頑張ったところで仕方ないものだよ。

話は逸れる。

仕事において上司や同僚は必要な時はきちんと叱責しないといけないと思っている。パワハラ扱いになるとか気にして優しい表現ばかりにしてはいけないと思う。

具体例として過去の記事で話がでている家の屋根の工事の話をあげる。令和5年の年末、家の工事を数週間に渡って行った。普段は複数人で仕事をしているのだが、とある1日だけ職人が1人だけになった日があった。その日その1人は仕事中彼女に電話するなど明らかに手を抜いてて、結果一部未着手のところが残っていた。その翌日、上司が確認しに来た時に未着手部分に気づいた。こちらは、長く続くその工事に嫌気がさしていたので「もういい。」とこちらからその上司に言ったところ、その上司は「こちらの信用問題に関わりますのでやらせて下さい。」と謝罪があった。翌日、その1人が出向いて真面目にせっせと未着手部分を取り組んでいた。話を聞くに上司に前日こっぴどく怒られたらしい。仕事の信用、特に安全に関わる部分で、部下が手を抜いた場合はきちんと叱らないといけない。その行為は当然だがパワハラにならない。そこで怒られないと知ると人間手抜きを覚える。それは事故に繋がる。やはり必要な時は叱らないといけない。

ちなみに上記の会社は小さな個人事業主であった。その後、もともとその家を購入した大きな会社の工事もやったのだが、常に監視する人、確認する人を配置していた。その後、小さな個人事業主のやった工事の部分はおかしなところが見つかったが、大きな会社ではそれが見つかっていない。別に小さい個人事業主が悪いという意味でない。作業する職人に差があるという意味ではく、作業する人でなく、監視する人、監査する人を配置するというのは仕事を丁寧に行うするうえで非常に重要である、という話である。

尚、ダイ〇ツ、ビッ〇モーターのように経営陣が率先して安全を軽視する会社は論外である。