巧遅は拙速に如かず

仕事、自己啓発、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

人事考課のお話

そういえば、賞与の季節ですね。
昔、賞与の査定を自分と役員とでしていたのですが、ある年、部門の管理職による部下の評価を賞与の査定にそのまま反映させてみよ、と役員が支持がありまして。
そこで、あらためて管理職から部下の評価を聞いたところ…。私と役員との評価とは異なる評価が提示されてきたです。

A部門の管理職は、自分の方針や指示に黙って従うかどうかで評価する傾向がありました。そのため、黙って従うタイプの人達が評価の上位となり、逆に能力や成果はあったとしても、異論も含めて自分の意見をはっきりいうタイプは評価が下位となりました。極めつけは、管理職が個人的に嫌っている従業員。ぶっちぎりで最下位、マイナス評価をしてきたため、役員の提案通りその評価をそのまま賞与に反映してしまうと、賞与が大幅ダウンになってしまう事態に。ただ、役員と私のその従業員の評価では、口は悪いが、いわゆる”兄貴””姉御”気質で頼もしく、また特に問題も起こしてはいないため、A部門の管理職の評価はそのままでは採用しないことになりました。

B部門の管理職の評価は、部下全員が同じ評価。部下の差をつけたくないという管理職の優しい人柄がでていますが、これでは成果を上げた人が報われませんし、経験年数も考慮されず、仕事はやってもやらなくても賞与は同じという結果になります。よって、B部門の管理職の評価もそのままでは、採用しないことになりました。

かくいう賞与査定の担当の私の評価、役員の評価も問題ありました。
私は、他の人の評価をみることで、自分が従業員個人の成果より、チームへの数字には表れない貢献や、周りのサポートを厭わない人間を評価しすぎる傾向が強いことがわかりました。採用面接では評価されないタイプを評価したいという私の思想がでてしまっています。でも、それでは会社の収益は上がらない。
役員は、自分の出身部門の人への評価が低く、逆に自分が未経験の部門の人の評価が高くなる傾向がありました。自分がやってきた仕事は、これぐらいはできたはずだと、後輩に厳しい。それだと出身部署のモチベーションが下がってしまう。

結果、各管理職の”高”評価の人に色をつける方向に落ち着き、B部門の管理職には高評価の人を再報告してもらいました。尚、ほかの管理職、特に営業職の話は割愛。営業職は、いうまでもなく数字が最重要ですからね。

人の評価は、評価する人によって変わるもの、というのがよくわかった出来事でした。

でも、満場一致で評価が一気に下がった人がいます。
それは、会社が急な退職者が出て、代わりの人を見つけないといけないと困っていたときに、そのタイミングを見計らって、自身の賃金上昇の交渉を持ち掛けてきて、決裂した場合の退職をちらつかせてきた人間。そのタイミングで退職されては困るため、仕方なく条件をのむことになりました。ですが、こう言う人間には信用して仕事を任せられない、権限を与えてはならない、という評価に。人が充足した後、いつ辞めてもらっても支障が出ないところで働いてもらうことになりました。

でもこの話、一般論として自分は仕事で評価されているのだろうか、と思っている方には参考になるのではないでしょうか?評価は人によります。そして、上司の考えに左右されます。そして、個人の成果はそっちのけで、A部門の管理職のように自分に従うかどうかが基準の上司、B部門の管理職のように、全員ほぼ同じ評価にする上司、結構いると思います。上司ガチャ、当たっているから広まったのだと思います。

私個人の評価を聞いたことがあるのですが、学校を出た後の新入社員の頃は評価はかなり下の方でした。特に仕事をしない評論家タイプの上司にえらく嫌われていたみたいです。その後、仕事に厳しい上司の下しごかれた後は評価はうなぎのぼりになりました。あの〇〇さんの薫陶を受けた人、と社内でラベリング、バイアスがかかりました。上司、すごく大事です。

補足:個人会社が特定されないよう登場人物を少なくしてぼやかしてはいますが、実話です。