けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

集団組織に依存することが生存戦略ではない

自分のこれまでの生き方、生き残るための在り方は間違っていたことに気づいた。

人間は人間社会の中でしか生きられない。その人間社会の中に居続けるためには、学校、会社、地域、親族という組織の中で周りと協力していかなければ生きていかなければならない。そうしないと組織から排除される。一旦組織から外れたら元に戻ることはできず、他の組織にも入るのも難しい。

組織から排除されないためには、

  • 周りより秀でていなければならない。
  • 協力的でなければならない。
  • 周りと喧嘩してはいけない。
  • 目立ちすぎてはいけない。
  • 暗い性格で周りの空気を悪くしてはいけない。
  • 周りが困っていれば率先的に助けなければならない。
  • 集団のイベントの参加を拒否して組織の一体感を壊してはいけない。
  • 組織のトップ、リーダー、年配者、先輩をたてなけばいけない。
  • 自分の存在価値を周りから認めてもらわなければいけない。
  • 勝負に負けて、自分の存在価値を落としてはいけない。
  • ミスをおかし自分の存在価値を落としてはいけない。
  • 他人に見下されてはいけない。

そうしないといじめの標的にされる、組織に役立たないものとして除け者にされる。組織を乱すものとして排除される。

そう思って組織の中で生きてきた。その結果ある時期までは、田舎独特のよそ者排除、学校と部活でいじめの対象にならずに生きていけた。会社組織に入ってもダメ人間と烙印を押されず、リストラの対象にならなかった。

この生き方が正しい、そう思っていた。

しかしそうやって生きてきた結果、心身ともに疲弊しメンタル疾患になってしまった。10年前のメンタル疾患患者への差別はものすごかった。(それより前はさらにひどかっただろうし今でもあるだろう。)落伍者、要警戒人物だった。会社から追い出され、住まいも追い出され、仲間からは距離を置かれ、恋人は去り、「子供部屋おじさん」として「ひきこもり」として「うんこ製造機」として生きていた。

そこから脱出すべく、懸命に努力し、社会復帰し、運よく別の会社組織に移ることができた。金も稼ぎ、「ひきこもり」「うんこ製造機」からは脱出した。

でも脱出した後数年たった今また同じことを繰り返すようになった。そう、また組織から除け者にされないよう、いい顔をして周りの顔色を窺って、間違えないよう負けないよう神経をすり減らしていた。その一方でうまく組織に溶け込めていない人間を見下していた。自分はそうではないと思いながら。

しかし、先日会社の食事会があり「働かないおじさん」が女性陣に対し私を名指しし、こう発言した。

「こいつは独身で結婚したこともない。自分の遺伝子を残せていない下等生物なんだぜ」

女性陣の一部の目つきが変わり、軽蔑と警戒のまなざしを向けられた。

会社組織において独身でいることはなんの関係もない。そももそ会社組織は成果をあげてお金を稼ぐためのものだ。しかしそれは違った。今や成果をあげてもいない「働かないおじさん」はなんの成果もあげていない金食い虫だが、結婚し子どももいる。そして独身で子なしのおっさんの私は人間性に問題のある危険人物だ。現にその「働かないおじさん」の発言で周りの目が、態度が一気に変わったことを空気で感じ取った。よく働く中年男から危険人物へと。

そう、どれだけ周りに気を配って見せたとしても、どれだけその組織に貢献しようとも、私はもはやどこまで行っても排除されるべき人間扱いなのだ。人間は自分より劣るところを見つけては見下し、自分の優位性を確保したいものなのだ。自分の生存に危険をもたらしかねない人間は排除したいものなのだ。せっかく会社という組織を移ることができ、成果をだしてきたと思っていた自分が滑稽だった。自分を高く評価してくれると思っていた自分が馬鹿だった。

振り返ってみると、自分が見下していた、組織から暗に悪口を言われていながらも飄々と生きている人間のほうがよっぽど他人の顔色を気にしていない分、すっきりとした感じで生きているように見えた。

そして、そういう人間が組織からはじき出されているかというと意外とそうではない。長く生き延びている。逆に周りに貢献しているかのような働き者がかえって心身が疲弊しダウンするか、不平不満が爆発するかで組織から立ち去っている確率の方が高いような気がする。

組織のなかで生き残るための生存戦略を私は全く違っていたのだ。

馬鹿にされても黙って抑圧されながらも耐え忍ぶ必要はない。自分の考えで周りのことなど気にせず、間違いやミスも”それほど”気にせず生きている人間の方が精神的に強い。周りにあわせようとする”余計な”心身の負担も少ないから丈夫である。最終的には強く生き残っている。

私の考えが間違っていたのだ。

自分は組織に依存し、周りの人間に対し、自分の生存を保証してもらえるようにへりくだって生きていただけなのだ。自分の生存を誰かに保証してほしいかっただけなのだ。足を舐めながら、どうか生かして下さい、組織に置いてください、と。

しかし組織は組織の理論で人を選ぶ。優秀で身を削って生きている協力的な人が優先して生き残っているわけではない。

組織が組織の理論で組織が生き残るために動いている。組織に依存するのは、自分が生存するための手段を組織や他人に預けるようなものだ。それはいつでも代替のきく人間に、自分から率先してなっているようなものだったのだ。

組織から排除されるのは真面目さとか、貢献度とか、成果とかは必ずしも結びつかない。いい人だからといって組織が生存を保証してくれるわけではない。いい人は都合のいい人でしかなく組織に残すべき人ではない。

組織に依存するな。他人に自分の生存を保証してもらおうとするな。他人に排除されないことを優先するな。自分ひとりでは生きていけないかもしれないが、組織にいても同様に生きていける保証はない。むしろ組織から排除された時にもう生きてはいけないと絶望しかねない。

組織に依存し組織のためにと自分を抑圧しながら生き延びるより、自分がやりたいように生きて、その結果組織から除け者にされ早く死んだとしても、やりたいように生きたほうが人生の中で幸せと感じた時間はきっと長いだろう。