けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

あらためて「知識」というのものを考える。

過去にも同じ話題の記事を書いたが改めて再度書きたい。

前提としての「知識」の定義について。ここでは単に知る、ということでなく、正しい情報をきちんと取得して、考えて、理解したものを「知識」とする。

ネットで検索してでるのは「雑学」。SNSでちょっと読んだものも「雑学」「情報」。AIで教えてもらっても「雑学」。はっきりいって、雑談のネタにしかならない。ネットで検索すればわかる程度のことを調べようとしない人はそれ以前の問題。

「知識」を得ようとするならば、それなりの時間をかけて、体系的に一から学ぶのが原則。最初からコスパとか、タイパとか笑止千万。勿論、本人の資質や指導者により短時間で習得できる人もいるが、その事実をもって自分も短時間ですまそうとすれば躓く。「理解する」ことに最初から近道を求めてはいけない。

専門家から学ぶといっても、その専門家は「自称」かもしれないし、専門家の間ではまだ確立された事実でないことを言っているのかもしれない。極端な意見をいう人かもしれない。

短縮された一部の話を「切り抜いた」ものを見ただけでは暇つぶし以外意味がない。初心者用にかいつまんだ話かもしれない。論点整理をするために内容を省略しているかもしれない。誤解する可能性がある。

複数の専門家から学んだほうがいい。それでも正しい「知識」かどうかまで確証は得られないかもしれない。事実は日々変化する。書物などで学んで、同じように学んだ人と話をして、広く意見を聞く耳を持く必要がある。

「本を読むなんて無意味」という極論をいっている奴もいるらしいが、おそらく文字通りの意味ではなく、それを活かした行動が伴って初めて本で得た「知識」が生きるといいたいのだろう。「知識」は活かしてこそだが、まずその知識を習得する段階を放棄しては意味がない。本を読むか、読まないか、0か100かの話ではない。

 

何の専門家かもわからず、実績もわからないが、なぜかテレビに多く出ているか、ネットで閲覧される、発信力だけはある人間による、聞きかじった(パソコンでちらっと見た)程度の浅い、根拠の薄い話を「鵜呑み」にしてはいけない。ただ、ネットニュースとかはこういう浅くて刺激的な短い意見を引用するのが大好きである。何故なら、浅く短い話の方が幅広く読み手が食いつくし、刺激物のほうが目を引くから。

そもそも以下の人間の話は信用するに値しない。

  • ネットで調べればわかるという極端なことをいう人間
  • ちょっと最先端の情報を得た段階で得意げにマウントを取る人間
  • 少し成果がでたくらいで自尊心が肥大化し、さも自分が偉いと人を見下す人間
  • 他人をバカにしながら反論されれれば「アンチ」というレッテルを張る、聞く耳を持たない人間
  • 謝ったら死ぬ病」にかかって、頑なに自分の過ちを認めない人間
  • 「〇〇を知らない奴はバカ」と挑発するが、逆に自分が知らない場合は、自尊心が傷つくのが嫌なのか「意味がない情報」と、情報の価値を下げたり、なかったことにすることに躍起になる人間

これらの人間から発せられる話は、眉唾だと思った方がいい。なぜなら自分の自尊心を満たすための発言だからである。知識や情報は発信者が大事である。

また、上記の人間たちにバカにされている側なのに、なぜか自分が上記の人間と同じグループにいると勘違いし、自分も誰かをバカにする一味だと思って溜飲を下げている人間も同類である。

〇〇〇〇さんは違うと思っている人は、自分の専門分野や自分の仕事、詳しい趣味について語っている内容で判断してみるといい。専門外も含めて世の事象を幅広く、偉そうに語っている人間の浅い知識に気づくはずだ。「あ、コイツ、さっきネット(スマホ)で検索ででた内容だけで話しているな」と気づくはずだ。

そういう人間がテレビやネットで幅を利かせているようだが、こういう風に考えたほうがいい。

同じ「切り抜き」ならマンガのキャラの吹き出しをパロディにした方がよっぽど的を得ている。そもそも、専門家たちは本業の仕事で忙しい。専門家としての能力は低い、または、何を生業としているかわからないが、テレビ受け、ネット受けする能力が長けている奴が出ているだけである。

論点をずらし、自分のことは棚に上げて他人の非を探しそこを攻撃し、罵倒し、挑発し、マウントをとる思いあがった人間の発言は信用に値しない。そういうヤツと一緒に仕事ができるか、遊べるかと考えてみればわかることである。挑発や論点ずらしに乗らない、時間をかけてもいいと思っている本物の専門家と対峙すればメッキがすぐに剥げ落ちる。

そもそも、そういう人間を持て囃すマスゴミと信者が一番信用が置けない。

尚、鵜呑みにしていけないのは、匿名の投稿も同様である。あれはあくまで「意見」である。そう、このブログも同類である。

だからといって、名前と顔を出していも、上記に該当する人間の発する情報の方が正しいとは私は思わないけれども。