けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

他者との比較。なぜ自分”だけ”が報われないのか。

たまたま大学生の同級生のSNSを見て知ってしまった。同級生がテレビに大企業を代表して出演していると。同級生が家族と一緒に、テレビで自宅紹介をしていると。これと比較してなんと自分は情けないのか、と落ち込んでしまった。

しばらくして思う。これが「スマホ脳」と言う本で言っていた「自分より充実している人生」の投稿を見る方が落ち込む、ということか、と。別に同級生が私を侮辱しているわけではない。単に彼らが自分の仕事と家を紹介しているだけだから、私が彼らに文句をいう筋合いはない。私が勝手に比較して、勝手に落ち込んでいるわけだ。他人を否定しあうSNSより、幸せや成功の投稿を見るだけのほうがよっぽど落ち込む。昔なら連絡をとっていない人の動向は知るすべがなかった。SNSの発展で知り合いの成功を目にする機会が増えたわけだ。「スマホ脳」の本の指摘は正しい。尚、「スマホ脳」では正確にはこう書いてある。「自分より充実した人生、ただし”見かけ上”」。

また私は、彼らが初めから成功していたかというとそうではないことは知っている。大学の就職活動が集中する頃に、不幸があって、教授の妨害にあって、就職にものすごく苦労していたことを知っている。大学中に早々と内定をもらって4年生を遊び惚けていた自分が恵まれていたことを知っている。

「自分の苦労」は記憶に残ると、ある本に書いてあった。

「自分が努力していることが評価されないと嘆くのならば、なぜ他人も同様に、またそれ以上に努力しているかもしれないことにあなたは思いをはせないのか」

別の言い方をすれば「自分”だけ”が苦しい目、悲しい目にあっていて、他人もまた同様、または自分以上に苦しい目にあったかもしれないことに思いをはせないのか」

「なぜ自分”だけ”が苦しむのか」

この表現に私は感嘆した。誰もが大なり小なり苦しんでいる。表にだすかださないか。自分”だけ”と考えるほうがおかしいのである。今上手く言っている他人と、今上手くいっていない自分とを比較するから、自分”だけ”が…という思考になる。神や仏や世の中に不平等、不公平と嘆いている前に、自分”だけ”はいつも幸せで苦しみもなくなる”べき”という優越思想になっていないか、という話だ。(注釈:勿論、今苦しんでいる人に向かって言っているわけではないし、記事作成日から13年前の明日の日付で失った命を軽んじているわけではない。)

ではどうすればいいのか。思考、感情を自由にコントロールできたら苦労しないが、それは無理。無理にポジティブに考える必要はないし、そんなことができない。行動しなければ意味がない。テレビのコメンテーターのように、野球のベンチでヤジったり解説しているだけのような状況ではなにも変わらない。今やること、これからやれることに集中し、行動することが正しいと思うが、他者からの称賛を得るためだけの行動ならば意味はないだろう。

「あるがまま。病気になっても、病気が一向に治らなくても”あるがまま”」

昔、メンタル疾患で苦しんでいる時に医師に言われた言葉だ。今苦しんでいる患者になんということをいうんだ、と憤慨したことから記憶に残っている言葉だ。でもそれが正しかった。ただ現実を受け入れ過ぎ去るのを待つのもメンタル疾患の治療としては正しかったし、人生においても大体のことはそれしかないのだろう。

「他人からの悪口も、他人からの称賛にも反応しない」

これもその当時言われた言葉だ。悪口はともかく、賞賛がなぜいけないのか、と当時思ったが今ならわかる。称賛を期待するということは、負の感情を生むということを。他人は自分を称賛すべき、評価すべき、という押し付けがましい考えに陥るか、他人の期待にこたえなければければならないという強迫感と自己で肥大化させたプレッシャーを感じるからだ。だから悪口も称賛も含めて「あるがまま」、他人がどうしようとどう言おうと、そのまま。言葉で説明するのは難しく、医師がいったことの意味とは違うかもしれないが、私はそう感覚で解釈した。

「上手く言っている人やその道の第一人者と言われる人は、本人は何者になりたいと思ってやっていなかったりする。何かをやっていたら、勝手に他人が自分を何者かに定義しただけだ」

…名言集の寄せ集めのような記事になってしまった。名言を解釈する意図はない。結局は他者との比較は苦しむだけ、と自分に言い聞かせているだけに過ぎない記事である。

おまけ:定年後のジジイの一定数になぜか昔の管理職だった頃の自慢話、若い頃に女性にモテた話ばかりする人間がいて、聞いてもいないのに何がしたいんだと思っていたが、単に自分をスゴイと称賛してほしい心理なのかもな、と思った次第である。(単に話して支障のない話題がそれぐらいしかないのかもしれないが。)わかったからといって話にのっかると、延々と自慢話をされるので、聞き流すが。