けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

1月1日元旦 スマホについて 

※追記 以下の記事は地震発生前に書いた記事です。

あけましておめでとうございます。

さて昨日の大晦日、去年の投稿を挙げて振り返ったので今年も去年の投稿を張り付けて振り返ってみる。

kesera22.hatenablog.com

…元旦早々とても不愉快な記事をあげている。私はどれだけ1月1日が嫌いなのか。

さて、今年は去年と状況が変わった。親族が実家に集まらなかったのである。また年賀状も幸せな家族写真付きのものが届かなかった。子どもが大きくなって写真に入るのをいやがったからであろう。

でもやっぱり不快になった。それは何故か?私は親族の幸せとの比較だと思っていたが、ここ数年に関して言えば、スマホで見るSNSや、ヤフーニュースをはじめとする芸能ニュースをみるからではないかと思った。

元旦は店も休業だし外にでても行くところがなくて暇である。(ちなみに私はわけあって神社にお参りに行かない。)元旦に普段と同じことをするのは何か違うなと思って、居間にいても結局することがなくてスマホを見るわけである。この時スマホSNSやニュースを見ることになる。

そしてこの時に芸能人、著名人のお幸せなニュースの情報を洪水のように浴びさせられる。これを見てなんだか気分が悪くなるわけである。

家でスマホの前で人の幸せを見ることで何故不幸を感じるか。簡潔にいうと、他人と比較することで自分の孤独を感じるからである。

昨年読んだ「スマホ脳」という本にこう書いてあったと記憶している。精神的に弱るのは、嫉妬するのは「他人の幸せな体験」を見せつけられる時だと。別に投稿者から非難されているわけでもない。投稿者は単に幸せな報告をしているだけである。元旦はニュースでもネットでも現実社会でも悪い話と言うのは極力避けるから余計幸せな出来事の報道が際立つ。芸能人の結婚はワイドショーなどに追いかけられない正月にあえてプライベートなことを発表するので余計際立つ。その幸せの洪水が精神的にキツイということだ。

ネット上ではいつも誰かが自分より幸せな素晴らしい体験をしている。それと比較していたら、自分が惨めになる日もある。365日いつでも幸せな人は早々いないだろう。それは精神的に良くないことだ。また、孤立感を高めることがなぜ辛いかというと、人間社会、集団社会からの脱落という恐怖を感じるかららしい。本の受けうりだが、その通りだろう。

ということでスマホを手から離した。ネットニュースからも手から離した。そもそも自分の人生においてこれらのニュースは何の関係もない。そもそもニュースなど災害や天気など一部を除いて自分に必要のない話だ。別にファンでもないし知り合いでもないのだから赤の他人に無理に祝福コメントをSNSに投稿する必要もない。勿論、文句をいうことなどもっとないし、結婚報告するなという意味ではない。

スマホから、ニュースから離れる。他人の情報を手に入れない。これが正解である。

そういえば、昨日の大晦日、ここ数年やっていたスマホゲームのアプリを削除した。毎日毎日24時間経過した時にスタミナの補充がいっぱいになったと通知してくるゲームだ。また年末から年始にかけて無料ガチャと特に通知してきて、ログインを誘導してくる。これがなにか追い立てれた気分になる。娯楽と暇つぶしのためのものだったのが義務的に時間を操られている感じが強くなったので昨日アンインストールした。まあ、またゲームとしてやりたくなったら再ログインすればいいだけのことである。

スマホというのは商売上よくできたものだ。だからこそ発展したともいえる。情報を取得するつもりが、情報(何かいい話かも、という期待)を常に求めるという人間の欲求を情報提供者に上手く利用されているだけ。(その行為により情報提供者に収入などの利益が生じる。)

スマホゲームで遊んでいるつもりが、ガチャという当たるか外れるか不確定なもので射幸心を煽られているだけ。

スマホは上手く使えば役に立つが、下手に使えばスマホに時間を費やされるだけになる。SNSを自分の社交手段、ブランディングに使う人がその例外らしく、この人たちはSNSにより幸せになるが、利用者のうち上手く利用しているといわれている割合は全体の9%ぐらいだそうで、後はその情報を消費する立場であり、つまりは他人に情報を誘導され、他人の幸せで自信を喪失するなど時間的にも精神的にもあまりよろしくないそうだ。

為になる話をするユーチューバー?誰かを褒めたたえるか、誰かを貶しているか、誰かの言葉を引用しているだけで、そこに主体性も身になる話もない。形を変えたワイドショーであり、暇つぶしでなければ見るのは時間の無駄。

これに気づいただけでも去年と比較しての進歩である。あと、こういう負の感情を抱いたとしても「自分は孤独だー」とはっきり表立って言える人。そういう人は卑屈にならずにスッキリと毎日を生きられるのだろう。