けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

何を話すかが「知性」であり、何を話さないかが「品性」…?

最初の発言者がどなたか存じ上げないが、成程と良かったので、記録に残しておきたい。

より詳しく言うと「話さなくてもよいことを敢えて話さないのが”品性”のある人である」

テレビでもインターネットでも職場でも近所でも、あの人「品性」がないなあ、という人がいないだろうか。実績や実力や知識も豊富だが品のない人。なぜ品性がないか?と問われると、上手く言語化できなかったのだが、上記の表現でまさに我が意を得たりと思った次第。

ちなみに「品性」を辞書で検索すると以下のように定義されている。

「品性(ひんせい)」…個人の道徳的・精神的な資質を指す。それらが充実した人を「品性が高い」と表現します。

つまり人として、大人になるにつれ身に着けておくべき成熟度が足りないともいえる。家柄や経済的な成功でどんなに金持ちであろうとも、備わらないものともいえる。急に金持ちになった人間、生まれた家柄にあぐらをかいてきた人間が該当しやすい。その充実度を図る指針として的確な表現だと思う。

あえて他人を見下す必要がない。あえて対立する必要がない。あえて知識や過去の実績をひけらかす必要がない。そんな場面で求められていない、話す必要のないことをどや顔で話す。そこに道徳的・精神的な成熟度が図れるというわけだ。

あの司会者や実業家や同僚、上司は受け付けない、どうも嫌いだわと思ったときは、その人に「品性」が感じられないからだろう、と思えばそれでスッキリする。さあ、テレビやネットを消して、席を離れて距離を置こう、という話。

追記:この話の元ネタの方をインターネットで検索したら今休業中のコメディアンの方だそうだ。今となっては皮肉でしかない。このコメディアンが今沈黙している理由は「品性」があるからでなく、権力者に対する服従、忠誠、そして怯え。今の裏金問題の政治家も知らないとして何も話さないが、それはむしろ「品性」がないからではないだろう。