けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

チームプレイで直接本人悪口を言うのは間違い。

「他人の悪口は、その人に直接言えるときだけしか言わない。その人に聞こえない陰口はしない。」

上記は先の記事であげた投稿者がショート動画で掲載している発言である。これについての反論記事である。

まず悪口の定義を確認。

言葉の定義という土台が違うと話がかみ合わなくなる。

悪口とは他人のことを悪くいうこと、けなすこと、罵ることである。

注意、指導、意見、批判は悪口と定義しない。「〇〇する能力が劣る、結果がでていない」というのは意見、あるいは事実の通知である。個人の社会的、人間的評価を落とすような表現は悪口に当てはめる。「無能」「クソ」「クズ」は悪口である。

悪口自体をいわないのは良いことか

という趣旨での発言であるならば人間として素晴らしいと思う。聖人である。

ただし現実的にはそうそうできない。だれしもムカつくことはあるだろう。意見の対立はあるだろう。性格的にあわない人間もいるだろう。感情的、道徳的、倫理的に許せない行動をする人間もいるだろう。そういう時でも「悪口」に繋がらないのならば、スゴイと思う。

だが実際悪口を言わない人はストレスが溜まる。外に吐き出すことで気持ちを整理し、次のこと、未来に向かって動きだせる、というのは実験により証明されている。具体的には前職で揉めて退職した場合、前職の誰かの悪口や怒りを外に吐き出すことで次の仕事に心理的にスムーズに移動しやすい、という実験結果があるらしい。逆に我慢したまま、悪口をぐっと堪えたままだと、いつまでも引きづってしまうらしい。ということで、溜まった悪口はどこかで一度吐き出した方が精神的にはいいらしい。

よって、普通の人は悪口を言った方がいい。勿論、頻度、場所、話す相手を選ぶ必要がある。

悪口を言うならば直接本人にいうべきか?

まず前提として意見を悪口と同義で扱っている場合は話がかみ合わないので、これにて終了である。意見は悪口ではない。たまにある事柄について反対意見をいわれること=個人への悪口、誹謗中傷と解釈する人間がいるが、違う。

たしかに悪口と言うのは、陰で言っても経由して本人に伝わるものだ。中身に尾ひれがついたり内容が変わっていたりする場合もあるので、直接言った方がいい、という場合もある。

だが、一方でやはり悪口というのは直接いうのは避けたほうがいいケースが大半である。悪口を直接聞いた相手との関係は普通は間違いなく壊れる。一時の感情で直接言わないに限る。取り返しがつかない。一時の感情でなくて、相手の間違っているところを正しただけだと思っても、それが悪口ならば相手にもメンツがある。感情がある。悪口を直接言われた場合、一生記憶に残る場合がある。よってその人との関係はもう終わるものだと思ったほうがいい。関係を断ち切りたい相手に対しては直接悪口をいえばいい。仲がいい人だから悪口をいう、というのは繰り返すが、意見と悪口を混同しているのではないか。

そして、職場において、悪口を直接本人に言う人間がいたらどうなるか?おそらくその職場の雰囲気は最悪となる。チームプレイの質は落ちる。お互いが協力をしなくなる。その結果、チームの生産性は落ちる。当然、悪口を言われた人のパフォーマンスは当然落ちる。それを聞いていた人も委縮しパフォーマンスが落ちる。

この原因を作ったのは誰になるか?それは悪口を直接本人に言った人である。悪口をいわれた人ではない。たとえ悪口を言われた人の成績が悪かったとしてもだ。

チームにとって必要でない人間はだれか?それは「悪口を直接本人に言う人」である。一人の部屋で一人で勝手に自慰行為でもやってろ。

今回の結論

「悪口は直接本人にいうべき。直接言わないなら悪口を言わない。」という意見は、相手との人間関係を断絶したい時やチームプレイを破壊したい場合を除き、間違っている。

繰り返すが、”悪口”の話である。とある言動を咎めるのは指導であり、意見である。不正行為を正すのは悪口ではない。悪口というのは「〇〇は馬鹿」とかである。大人になっても、チームプレイの中で悪口を直接いう方が馬鹿である。