けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

怒らないことは、蔑ろにされても黙っておく、という意味ではない。

自己啓発本で「どんな時でも怒らないこと」を主張する本がある。

自己啓発本で「他人は変えられないので、他人にどうこういわない」と主張する本がある。

この意見には私は賛同しない。

間違っていることを放置する、間違っていても治らない場合は放置する、という考えになってしまうからだ。他人に自分が貶められている時に、他人は変えられないので放っておく、そこから逃げると勘違いされるからだ。

勿論、自分に無関係な問題でもなんでもかんでも首を突っ込み、相手に「・・・すべき」とまでいう必要はない。

だが、自分だけに面倒を押し付ける行為や、自分の価値を貶める行為まで黙って従う必要はない。特に、俗にいう「舐められている」場合。(主観的な…かもしれない、という疑心暗鬼は除く)これは止めないと、どんどんエスカレートする。あいつは何をいっても文句をいわない。ならば、面倒はあいつに全部押し付けておけ、嫌なことは全部あいつにやらせとけ(笑)という流れにはまっていまう。そして、あ、あいつ、潰れたん(笑)、じゃ、他探そっか、となるだけである。

NOということは重要だ。普通に話しても通じないのならば、怒ってNOを突き付けることも必要だ。そうでないと相手には伝わらない。また、人間はしょせん動物でもある。生存競争に打ち勝つには、自分の存在を脅かす相手を威嚇することも重要である。

その場合、相手との関係は微妙になるかもしれない。だが、それでいい。もともと相手は自分を蔑ろにしてきた人間だ。その人間と良好な関係を築くことなどできない。無視する関係でちょうどいい。