けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

文章の「て・に・を・は」を軽視してはダメ

文章の「て・に・を・は」を逐次修正してくる人がウザいというコメントをXで見た。

確かにウザい。

私も若い頃上司に散々に直された。対外的な発表の資料ならわかるが社内用の決裁文章の「てにをは」などそこまで気にしなくてよいだろうに、と思っていた。

だが年齢を重ねるにつれて、この「てにをは」の修正を若い頃にしておいて本当に良かったと思っている。文章の確認をすることが習慣となっていたからだ。

この「てにをは」が間違っている文章をだしても平気になってしまった人間は、書いた文章の中身がよほど魅力的であっても評価に値しない。というのも「てにをは」が間違えだらけの文章は続きを読もうと思わないから。

私は若い頃上司に言われた。「「てにをは」の間違いと誤字脱字を事前に確認しない人間は事務方として失格。」

「てにをは」ぐらいの間違いを事前にしてこない人間は、仕事もいい加減である。そういう人間や価格、数値なども平気で間違え、そのチェックも怠る。つまりところ間違いや見落としがないか確認を怠る人間と思われる。「てにをは」はチェックを自分で予めする人間かどうかの指針になる。チェックを怠る人間には仕事を任せたくない。業務の正確な遂行を求められる場合は特に致命的である。

というわけでそこを修正するよう指示がある組織というのは、若者を育てる気がある良い組織の可能性が高いと私は思う。勿論、言い方とかあるし、間違いを指摘されると腹がたつので愚痴りたい気持ちはわかるが。

ちなみに私もブログでは何回も「てにをは」を直している(更新し直している)。個人差はあるだろうが、下書きなしにパソコンに直接書いた文章は結構、この「てにをは」を間違えやすい。誤字脱字や変換ミスも多い。実際のところ、仕事の場合だったら、アップする前にもっとチェックする。ブログの場合はどうも読みなれないのでアップした後、何度か自分で読んで見つけ次第何度も変更する。スターマークをつけてくれた人には悪いのだが。

あとその「てにをは」を指摘されて、その間違いに違和感を感じない人、つまり自分が読んでもおかしい文章と思わない人は日頃文章を読んでいないことがわかる。それは人に文章を読んでもらいたい時には致命傷である。原因は恐らく読書をしていないからだろう。(今時ならば、YouTubeなどの動画かSNSの短文しか読んでいないということになる)

また文章を書き慣れていない場合もおかしくなる。手前味噌だが私がこのブログを大した中身もないのに書き続けているのは、自分の文章作成能力が著しく落ちていることに気づいたからだ。これはいきなり書こうとしても無理。私のマークシートの国語試験の点数は上司のあなたより上だと投稿している時点で、根本的に文章に対する向き合い方がよくわかる。(コピーライターに文章を丸投げできるぐらいの人なら話は別だが)

結論。どれだけ文字を読んでいるか、書き慣れているか、どれだけ根気よくチェックして間違いを直せるか、そこに書き手の文章作成能力と、仕事の正確性が表れてくると思う。

また社内の文章まで気にしなくてもよいと思っている人。社内の文章だからこそ、書き慣れておいた方がいい。というのも公式発表というのは締め切りが切迫した状況で書く場合が多いからである。その時、これまでの文章に対する向き合い方が現れる。急ぎの公式文書を書くことを任せよう、という信頼を置かれるかどうかは、これまで作成した文章から判断される。

ただ今の私は、職場で他の人の「てにをは」はよほどでない限り直さない。修正を促すほど会社の信用性に貢献しよう、今のメンバーの育成をしようとは思っていないからである。必要なら自分で直す。教える時間が無駄だからである。会社の、他人の将来など知ったことではない。だから、前の上司は「てにをは」を直さなかったのに今の上司は直してくるという場合は、今の上司の方があなたの育成を考えている可能性があり、良い上司かもしれない。

…勿論、上司があなたを嫌いなだけの可能性もあるが。