けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

評価と満足:仕事分担の変化

今までの記事で何度も書いたことがあるのだが、私は仕事において担当を複数兼務することが常であった。いわゆるマルチタスク。複数のことを同時進行させると脳が疲労する。疲労を溜めないためにはシングルタスクの方がいいし、集中して業務を行えるので効率も精度も生産性も高まる。しかしこれまで、業務分担はえてして”できる人”に集中させる方が組織全体としての成果が高くなるため(言い換えれば、できない人にさせると周りがフォローやカバーしないといけないため組織全体としての生産性が落ちる)、上司は特定の部下の人に業務を集中させてしまいがち。

マルチタスクを行っている時、私には相反する二つの感情があった。
「なぜ自分に仕事が集中するのか?不公平、しんどいし、おかしい」という不満。
「複数の仕事を任せられる自分はその仕事ぶりを評価されているからだ」という充実感。

そんな折、来年度からの業務分担が見直され、私の仕事は兼務無し、よってシングルタスクになる予定であることを聞いた。「働き方改革」に対応するため、一部の労働者へ偏った仕事量を他の労働者に分散させ業務量の平準化を図り、もって過重労働を抑制、また労働者間の仕事量の公平性を確保することにより労働者の不満も解消させたいらしい。

その話を聞いた時、上記の二つの感情とは逆の感情が湧いてきた。
「仕事量がやっと公平化された。給料が減らずに仕事量が減ることはよいことだ。疲労も減る。」という満足。

一方で複数の担当をもつ人も依然としていることから
「仕事を減らされたのは「働き方改革」は建前で、単に自分が評価されていないからではないのか。以前上司に文句を言ったから、自分がリストラ候補になったのではないか。」という不安。

そして、なんだか知らない喪失感があった。なぜだろうと考えていたところ、メンタル疾患になった時の頃をふと思い出したのである。あの時もマルチタスクで仕事量は膨大にあったが、人事考課と成果給たる賞与はうなぎのぼりだった。疲労が抜けず体のあちこちにガタを感じつつも充実感を感じていた。メンタル疾患になりやすい人は「真面目な人が多い」といわれるが、これは「真面目」というよりは、「多くの業務をこなせる自分」に自尊心が満足するためだろう。結果、過重労働により無理がたたり心身のバランスを崩す。

またあの時の失敗を、そして「メンタル疾患の予防」という観点から、仕事量の調整を要望していたのをすっかり忘れていたのである。もともと「働き方改革」というのは過度の仕事量と、長時間労働による心身への悪影響を減らすためのものであることすらも。

また、「多くの業務をこなせる」ことは他人から評価される、という思い込みからくる偽りの充実感から抜け出していないことにも気づいた。上司から見たら単に使い勝手のいい「コマ」でしかないのに。若い人の場合は見返りとして将来の出世が期待されるかもしれないが、私はもう若くないのだから将来の出世という見返りも期待できない。

今は仕事が減ったことを喜ぼう。クビになったらどうしようと思ったが、過去記事でも書いたとおり、仕事量がおかしいといって転職を考えたのだから、クビでも転職でもどちらも”退職”という結果は同じことである。我ながら実に滑稽。よって記録に残しておくことにする。

「なぜ自分”だけ”が苦しむのか…」この考えはなかなか捨て去れないもののようだ。

※以下、約2年前の記事張り付け。業務過多に文句を言っているから笑える。上司からしたら「お前、どうしてもらいたいねん」とツッコミたくなるだろう。

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