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面接官は入室して求職者を見ただけで優秀かどうかわかるか その2

以前、「面接官は入室した求職者を見ただけで一瞬で優秀かどうか判断できるか」という記事をあげたことがある。

 

kesera22.hatenablog.com

これは、もともとはテレビ番組で、とある著名な実業家が面接室入室直後に採用かどうか判断できる、という発言をしたことをもとにした記事である。

そして、先日この意見について、とある人事ジャーナリストの方が反論する記事を挙げていたので、どういう反論をするのか拝読した。

読んだ結果としての私の結論だが、実業家の意見の方が優勢、という印象を持った。

以下それについての考察である。

まず前提。テレビ番組の演出上、はっきりと断言した方がわかりやすい、使われやすいからそう断言された可能性についてジャーナリストが指摘していたが、それはその通りだろう。ケースバイケースです、と答えていたら放送されていないだろう。私は以前の記事で”大体”はわかる、という結論を書いたが、現実的にはそんな意見を述べてもテレビでは放送されないし、有料記事では採用されないだろう。

だから実業家もジャーナリストもどっちともとれるという発言は”あえて”していないと思う。それを踏まえたうえでの感想である。

まずジャーナリストは、学生の場合の面接の優秀さと、仕事の優秀さは結びついていない、証明されていないと反論している。

それはそうだろう。面接においてすべてがわかるはずがない。

ただ、他の代替できる選考方法を提示してはいない。他の代替措置が仕事の優秀さと証明できないのが現情である。選考方法に絶対はない。
一部の採用担当が、「フェルミ推定」という頓智で人となりを判断できる、というトンデモ理論をどや顔で話していたらしい(インターネット上では有名な方)が、これも仕事の優秀さとはイコールではないことも証明されている。(過去の記事参照)

となるとどれが一番良いかとなると、私は経営者、面接官の”勘”を頼りにするのが良いと思っている。
これについて、ジャーナリストはそれを言ってはおしまいよ、という風な反論をしているが、私は現時点ではこの”勘”という、これまでの経営者、面接官が自社で活躍した社員、活躍しなかった社員との比較という基準は、恐らくマニュアル化した質問や頓智問題よりも、その会社において成果をだせるかどうかの判断ではより適していると思っている。

あと、経営者が面接においてなんにせよ最終判断をしている、というのは極めて重要だと考えている。というのも、他の人に任せていると、面接官という他人の目が”節穴”だったと批判ばかりするようになるからである。最終判断を経営者自身がした以上は、自分の目が”節穴”だということになる。その分責任を持つし、他人に責任転嫁するような批判はしないし、失敗した時も自分の責任として今後の選考に活かせる。だからこそ、経営者の”勘”での選考は良いと思っている。

面接の結果において、経営者が責任もって判断するということが良いのであって、これを絶対にうわまわるという選考はないと思う。

またジャーナリストは、面接室入室時での採用ならば、面接の経験の差と緊張により左右されてしまうと反論している。それもそうだろう。そして、その対処法として、役員面接の前に担当者と会話し緊張をほぐすという提示があった。しかし、それは私が20数年前の学生時に実際に受けている。既に実施されていて、とても有効な代替案とは思えない。

これは過去の記事にも書いたが、そもそも面接官というのは学生や若者は緊張していることも考慮して面接をしている。経験の差というのも、既に内定を得ている学生とそうでない学生で心の余裕に違いがあるということが一番の差である。20数年前から続いていることであり、面接の前に担当官と談笑したからといって、内定を持っていない自信のなさの穴埋めにはならない。

また、本当に行きたい会社があるなら、その前に次点以降の会社の面接を受けて慣れておくことはできるし、そういうマニュアルは20数年前にすでにあった。だから、緊張や経験の差(というより内定があるかどうかの差)は学生は準備できることである。入社したい気持ちからくる緊張と、内定がまだないことからくる緊張は大体わかることである。

あと、面接時にジャーナリストは服装、持ち物、見た目がリクルートスーツなどで統一されている以上、”動作”しか面接時に判断できないから難しい、と反論する。

いやむしろ、服装が統一されているからこそわかるところもある。特にダメな場合は。猫背、髪の整え方、体型、服の着こなしでも性格はでる。これまでの人生のなかで得た自信というが滲み出てくるものである。

研究一筋できた学生の場合は服装に無頓着な人間はいるが、この実業家の会社は服を専門にしている会社である。それはかなり重要である。他、営業でもそうだがやはり見た目を気にしない人間というのは評価されない。独創的なファッションとだらしないファッションは専門家から見れば十分見分けがつくと思うが。

それに何かやってくれそうな独創的な人間や自信のある人間というのは目や体全身を見ればなんとなく光るものがある。挙動不審っぽくてもなにか人とは違う何か。これも言語化するのは難しいが、見慣れてくれば”大体”はわかると思うし、それをよしとすかどうかは会社次第だと思うが。

また、これは推測ではあるが、ノックの回数(2回はトイレ)とか、カバンの置き方とか、そんなマニュアル化したところで、できる、できないを実業家の人は判断していないと思う。あれは減点するための理由づくり用か、失礼クリエイターの創作物だと私は思っている。

あと面接が上手くて、成果はあげられない人間が採用されるようになると危惧していたが、それも正しいと思う。悲しいけど、面接だけでなく、ごますりのうまい人間が生き残るのが会社である。だがそれは、そういう人間をとった”節穴”な会社側の責任である。そういう”節穴”を採用責任者に据えている会社もまた”節穴”だから、どのみち先は長くない。それが経歴を汚さずに事前にわかったのだから、学生諸君にとっては落選してもなんの問題もない。

以上により、某実業家の意見は極論ではあるけれども、それを否定したとしてもそれを上回る提案はジャーナリストから提示されなかった。

となると、どちらの意見がより優勢かと問われると、実際に実業家として成功を収めていて、ひとつの意見を提示できている実業家のほうが優勢だろう、ということになる。

ただ、おそらくこの実業家の会社が成功したのは、今までにない画期的なアイデアを実現化したことにあるだろう。先駆者であり、過去の実績をまねていてはできることではない。そしてそんな画期的なアイデアを実現できるような労働者をせいぜい1時間の面接の場でわかるわけがない。強いて言えば、何かをやってくれそうな予感がある人というのは世の中に入る。そしてそれは、やはり”勘”であろう。失敗と成功の経験を重ねた”勘”は、人事だけの経験やデータより勝ると思う。求職者も、経営者の”勘”に外れて落選したとしても、その経営者は見る目がないと思えばいい話である。経営者も失敗する”人”である。むしろ、失敗しても立ち直れるタフさを持っているから経営者として成功したのである。

おまけ。

面接入室時ではないが、話始めてからダメだろうと判断できる人間はいる。それは、”半笑い”で話す人間。あれは、極度に自信がないのか、他人を見下しているかのどちらがであるケースが多い。声が小さい人間や活舌の悪い人間、偉そうに話す人間よりたちが悪い。(声が小さくてもできる仕事は世の中に沢山あるし、偉そうに話す人間は議論好きのひねくれ者に強かったりする)一方、半笑いは、高確率で周りと軋轢を生むタイプである。他を圧倒できるスキルを持つ人以外はダメだろう、と今日テレビでそういう人間がでているのを見て思った。