けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

長期休暇を他人に評価されるために使う事勿れ

長期休暇。5月のGW以降、長く待ち望んでいた長期休暇。なのにいざ休暇をとり始めると落ち着かない。そして心身の調子を崩した。前回の記事で、今年は今のところ仕事中に欠勤も早退も遅刻もなかったと記事にしたが、休暇となった途端に体調を崩した。

理由を探してみる。体の面では、いつもと違う睡眠時間、行動、食事により調子を崩すということもありうるため、”心”の方で調子を崩している理由を探す。

外出していないというイライラについて考えてみる。わざわざ人混みの中につっこんでいく気がしないのもある。サウナやマッサージにいきたいが、お盆前の医療機関の休み前にコロナに感染するのは避けたいのもある。熱中病を避けるため外にいる時間を減らしているのもある。たしかにイライラしているが罪悪感に囚われて憂鬱になる理由にならない。

過去の記事で「連休中はどこに行くの?」と聞いてくるオッサンの悪口を書いたが、要は自分の中で「連休中はどこかに行かなければならない、その予定をたてなければならない、その結果を報告し、他人から褒められなければならない」という強迫観念が自分の中にあるから、予定がないことの罪悪感があって、それを振り払うために非難したのだろう。

これでは正直仕事の日となんら変わらず休日になっていない。休日にストレスを感じてどうする。仕事上の心理的ストレスの軽減を色々模索していたが、私の場合は休日の過ごし方も気にしないといけなかった。

そういえば、転職活動中約半年の無職期間、つまり休みがあったが、この間に私は心の調子を崩した。

もしかしたらだが、私のストレスというのは仕事だけではなくて、休み方にも問題があったのではないか?とふと思った。

休みの日のほうが、周りに気を使っている、というより、周りに有意義に使っていると思われないければという強迫観念を感じている。どこかに出かけるのも、誰か知り合いにあって「あいつ、1人で過ごしている、かわいそ~」といわれないか気にしている。家にこもっていて、周りの帰省してきた人間から「一人で家で過ごしている、かわいそ~」と言われていないか気にしている。そういえば、デートをしている時も、デートの相手よりも、偶然会う知り合いに出会って羨ましがられた時の方がいい記憶として残っている。そうか、私は他人にいい風に思われたいがため、デートの相手をそのための添え者扱いにしていたのか、と思った。それではデートに誘っても、終わった後肝心の相手からはいい風に思われなかったはずだ。心の中では相手と楽しく過ごすことを二の次にしていたのだから。

また長期休暇を遊びでない仕事とか勉強とか用事に費やされているとアピールしている時も、他人に時間を無駄にしているわけではなかったといい訳をしているのに過ぎない。

なんたることか。休日を周りの他人によく思われるがために使っていたなんて。そして、よく思われない休日を過ごしている時は憂鬱になり、心の調子を崩している。ああ、なんたることか。

さてこの記事を書くことになった経緯だが、ちょうど今朝から体調を崩して寝ているからである。熱がないので新型コロナウイルスではなさそうだが軽い熱中症になったかもしれない。そこで寝床で本をふと手に取った時に、その本に書いてあった下記のような記述を読んで、今更ながら、恥ずかしながら、今気がついた。

休日を他人の評価してもらうがために使ってはならない。他人ではなく、自分にとって「快」の時間を過ごすために使いなさい」と。そして「自分にとって「快・不快」なことを見つけなさい」と。

それに気づけただけでも収穫である。今の私は数時間や1日単位の「快」の時間はあっても、3日以上使うような「快」の時間がないのが事実。だから長期休暇が楽しくない。記憶から消えないようにここに記録しておくことにした次第である。