けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

家族が入院してわかったこと(ブログに関して)

だいたい1か月前に家族が入院した。そのため、見舞いや着替えや飲み物*1を持っていくため、週に何度か、仕事帰りか休日に病院に行った。また、見舞いの時間は決まっていたし、その家族がしていた行為の代わり(ペットの散歩、買い物の送迎)をすることになったりした。

入院中、どうなるかわからない状態が続き、いつでも呼び出しがあってもおかしくないような体制をとっていた。医師に聞いても「しばらく様子を見ないとわからない」との返事だと患者本人から聞いた。コロナ禍で入院病棟にそうそう入れないので、重大局面でないと家族が医師と話ができないのだ。

呼び出されても仕事が途中でほったらかしにならないよう仕事を調整した。会社に頼んでしばらくの間、出張を断ることで了承を得た。無理をして体も心も休まらない日が1月続いた。

よって休みの時は睡眠という休息に充てた。そうしないとこちらがダウンしてしまう。すると結果として自分の時間というのは殆どなくなった。

当然、ブログを書くという行為はほとんどなくなった。書いたとしても、調べる時間を要さない愚痴ぐらいしか書けない。単なる日記である。

もともと私にとってブログを書くという行為は、お金を稼ぐものではない。生活のためではない。趣味の時間といっていい。良く言っても自己啓発。この時間を一番最初に削ることは当然の結果だ。

その結果、記事数は激減した。閲覧数も激減した。

これも当然の結果である。記事は日記しかない。きちんと調べた結果でもなく、仕事の延長戦でもなく、スピーディーな情報でもなければ、他人にとっては必要な情報ではない。

もちろん、日記という自分の中のものを吐き出すという行為は、虚偽情報や誰かを誹謗中傷するものでなければ否定されるものではない。ただ、他人にとって閲覧する価値のあるものではない。

ブログで閲覧数がある程度稼げるのは他人にとって有意義な情報であるか、刺激(不愉快、不安を煽るものを含む)があるかのどちらか。

そのためには時間が必要である。

そういうのがよくわかった。別に収益を上げるためでもなく、承認欲求のためでもないので閲覧数はさほど気にすることでもないのだが、一度閲覧数が増えた経験をすると、閲覧数が欲しいという欲求がでてくるものなんだな、というのが自分でやってみてよくわかった。

YouTubeやX(旧Twitter)のように、他人を侮辱したり、対立したりする刺激のあるものも、あれも、他人の否定や侮辱、そして炎上するのが一番手っ取り早く閲覧数が稼げて、かつ増えた時の麻薬であろう。

YouTubeで言えば、なぜか知らないが広島県にある市の市長が、議会や新聞記者と喧嘩する動画をたまたま見てしまったため、数多くのその市長の動画がおススメに表示されて難儀したことがある。もともとホリ〇モンとかひ〇ゆきとかの本人の公式や切り抜き、取り巻き連中のものはミュートかブロックしているのだが、調べる時に検索すると何度も何度も表示され辟易していた。この市長も公式ではなく、その喧嘩しているところだけを切り抜いた動画を複数の他人がいくつもチャンネルを作っていてブロックしてもきりがなかった。

勿論市長が、議長やマスコミと議論するのは何も問題はない。なにも発言しない、報道されないほうがよくない。だが、わざと過激な部分だけを切り抜いて、サムネに〇〇(実名)を論破、とか〇〇逃走とか書いていて、対立を煽り、反対する人を侮辱し論破し勝利宣言をする市長に動画では扱われていた。本当にこんな動画、なんであるのだろうと片っ端からそのチャンネルを非表示にした。

その結果、私のYouTubeとXはかなり穏やかである。刺激的な情報は少ないが、それでいいと思っている。

というわけで、人とは考えとは異なる場合でも、なるべく反論しないし、反論しても直接言わないし、名前はださないようにしている。匿名の第三者?ばかばかしい、反論する相手を論破することを目的としている連中の相手をするのが時間の無駄だからである。勝手にYouTubeやXがおすすめしていくるのがとてもうっとおしいし、書く側でも見る側でも、このような他人を貶める行為で閲覧数を稼ぐことの中毒にならないようにしたい。

SNSでだれかが言っていた。「極端な自分の意見をいうことで、自分と意見の相いれない人と話をするというストレスのかかる時間を減らすためだ」と。自分の意見を言うことはいい。ただ、他人の意見を否定することは、その他人との接触を増やしていると思うので、その意見には賛同しない。

他人を否定すること、論破することはドーパミンが沢山出て快感らしい。”あえて”極端な意見を言う人間は、目立ってなんぼのタレントや評論家などが金稼ぎになるためあえてやっているか、危険人物として避けられているのを自分を畏怖していると勘違いしているか、火事場見物にヒーロー扱いされていると勘違いしているか、ドーパミン中毒になっているだけだ。

*1:その病院はコロナ禍で無料の飲み物の機械が使用禁止になった。食事の時以外の飲み物は自分で買うしかなくなった。患者本人は1階の一般の人も入場できるところにある販売店まで出向くことは禁止されていた