けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

メンタル疾患になった人間は不幸か?

メンタル疾患になった人間は不幸か?というテーマの動画を見た。

メンタル疾患になり重症化し社会復帰した人間として、これについてコメントしたい。

まず不幸かどうかの結論は後回しにして、ほぼ完治した人以外は以下の通りとなる。

メンタル疾患になった人間は、社会的に”弱男”扱いにされる。

メンタル疾患になった人間は、仕事上”無能”のグループに入れられる。

メンタル疾患になった人間は、今でも差別対象である。

仕事場では仕事の制限がかかり使いづらくなるし、残業もあまりできないため、昇進、昇給できない。また、職を転々とすることになるかもしれない。

その結果収入は減る、または増えない。低賃金労働者となる。お金がないから、いい服もいい車も買えないし、遊びにもいけない。せっかくこれまで築いた「学歴」も「一流企業の会社員」「実業家」「官僚」などの肩書も意味がなくなる。

異性からは遺伝子を残したい存在にならない。よって”弱男”として、SNS上では”淘汰されるべき遺伝子”として扱われる。

仕事上では働きが悪くなるため、”無能”グループに入れられる。よって、YouTubeとかで経営者に”無能”というレッテルを張られ、「あなたは”無能”です。すぐに排除されるべき存在です」「〇〇しないバカ」「ハードワークを拒む三流」と侮辱される。

メンタル疾患は前ほどではないがいまだに「メンタルが弱い」から疾患になったと思われているし、なった後も「メンタルが弱い」人として、「配慮が必要な人」として扱われる。それは上記のとおり「ハードワーク」ができない人間であり、プレッシャーのかかる仕事ができない人間という扱いである。差別とはいわなくとも、少なくとも「メンタルが強い」人間ではないので、仕事の選択肢は狭まる。

以上である。

 

極端な例としてSNSYouTubeを取り上げたが、要するに”高学歴””高収入””他人から尊敬を集める”ことのできない人間か、または、見下せる人間を探し回っているような人間から馬鹿にされるだけである。

今や病気を抱えた人を直接差別するのは表立って行われることは少ないが、まだまだ世の中には沢山いる。転職の面接を何度かすれば、きっと今でも会えるはずだ。私は転職活動で沢山そういった人間にあえた。自分が弱い立場に立った時、15年以上たった今でも自分は差別の対象だと再認識させてもらえる。

幸せかどうかの基準が、”金””仕事上の地位””タフな心身”という社会的評価の高さを持っているかどうかという基準ならば、また将来にわたってそいういった社会的評価を得ていたいのならば、メンタル疾患になった人間は不幸である。

だが待ってほしい、そういった社会的評価を気にしていたから、社会的評価で人を判断する連中の顔色を窺っていたから、こういった連中の仲間のふりをしていたかったから、無理をしてストレスをためて、メンタル疾患になった可能性があるのではないか?

私は病気になるまで、自分では気づけなかった。それに気づけたことは、今後の人生の教訓にはなったと思う。病気になったことは幸せだとは思わない。闘病は痛いし辛いし、できる限りさけたい。ただ、病気になったから人生が終わった、不幸だとも思っていない。自分の遺伝子はもう残せないだろうが、やむを得ないことであって、不幸とイコールではない。

そういった奴らとは関係なく、社会的評価と関係なく幸せかどうか判断するのならば、幸せかどうかは自分が決めることである。

※補足 メンタル疾患になるのは、当然だが仕事だけが原因ではない。大事な人の死で病になる方もいるだろう。上記はあくまで一つの例としての話であることはご了承いただきたい。