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年収の壁⑦ 余談 標準報酬月額の決め方とは

年収の壁のところで「標準報酬月額」という表現がでてくる。これについての説明の記事を書くことにした。尚、例外を書くと説明としてはわかりにくいのでまず省略することにする。

まず「標準報酬月額」とはなんぞや、という話。

これは毎月給料から天引きされる厚生年金保険料、健康保険料、介護保険料(40歳以上)の基礎になる金額。この「標準報酬月額」に保険料率をかけたものが社会保険料として、毎月の給料から天引きされる。「標準報酬月額」はいったん決まれば1年間は固定される。そしてこの金額は〇等級という〇円以上〇円未満は〇円と階層にわかれている。だから”標準”また役員でも加入するか賃金だけではないから”報酬”と解釈すればよい。

源泉所得税が毎月の給料をベースに計算されるし、雇用保険料は毎月の収入に保険料率をかけるので、残業代などで毎月の月収が変動する場合は毎月天引きされる金額が変わるのに対し、「標準報酬月額」は原則1年間固定されるので、給料が多少変動しようとも9月分から翌年8月分までは同じ金額が天引きされることになる。

例えば今月欠勤ばかりで殆ど勤務しなかったとしても、社会保険料に関しては同じ額が天引きされる。

続いて「標準報酬月額」の決め方について。大まかにいって3種類である。

1つ目は「資格取得時」。文字通り社会保険に加入した時に決定する。この金額が次の「定時改定」まで固定される。

2つめは「定時決定」。全被保険者の4月~6月の実際の収入の平均値をもとに「標準報酬月額」が決定する。この決まった金額が9月から翌年8月分まで1年間固定される。

3つ目は「随時改定」。上記2つの例外として、昇給などにより上記の定時改定の金額から固定的賃金が大きく上回った時に「標準報酬月額」再計算が行われる。固定的賃金が変わった時なので、残業代が大幅に増えても「標準報酬月額」は変わらない。

ほかにも改定する場合があるが、その説明は省略する。

前提としての「標準報酬月額」の決め方の説明はこれまで。

今回の本題は、年収の壁の話。

よって1つ目の「資格取得時」の決め方についての話をする。

この時の金額の決め方は、月給制・週給制と、時給制・日給制で決め方が異なる。

月給・週給制は、その対象者の加入時の雇用契約によって決められた給料で決まる。

一方、時給制・日給制は、その対象者の契約金額ではなく、その事業所で同じような勤務をした人の前月の報酬額の平均値で決まる。つまり、対象労働者”本人”の雇用契約時、資格取得時のの時給×所定労働日数ではない。よって時給パートの新規加入が複数人いた時は時給が異なっても全員が同じになる。(例外はあるがここでは省略する)

以上が法令に基づく「資格取得時」の決定の仕方である。

さて、なぜこのようなことを書いたかというと、社内で「資格取得時」の時給制の人の決め方を、月給制と同じように労働契約に基づいて決めるんだよ、と他の人に講釈していた人がいたからである。前職が月給制のところにいたからそうであると勘違いしたからであろう。

尚、その人物は資格取得時決定の担当者でもないのでその自慢話を遮っていない。担当者だったら、会社に間違った影響を与えてしまう可能性があるので遮るかもしれないが、担当者でもない人間の自慢話は、会社の人に影響しないので、わざわざ水を差して、メンツをつぶしたり、喧嘩をする必要もないからだ。それに私が聞き間違った可能性もあるし、ここまで説明しておいて何だが、私が間違っている可能性も当然ある。担当者でない人間が担当者でない人間に話した内容について何が正しいか一緒に調べて議論するほど私は暇でもない。

無論、現実的に年金事務所が、事業所の前月の金額をもとに決定していると確認しているのかどうかというのは別の話である。(資格取得届に金額を直接記入するため)そして今回の年収の壁の「社会保険適用促進手当」創設に伴い、資格取得時決定の標準報酬月額の決め方に影響を与えるかどうかも別の話である。

何がいいたいかというと、こういう制度的な話は自分の前職とかの経験で決めつけないようにしないといけないし、知識も最新のものに変えていかないといけない。学ぶ姿勢が大事である。

年収の壁の対応策についても、今回の対象となる可能性があるパート労働者というのは別の会社で働いた経験がある人が多いだろう。そして前職の知識で決めつけて事業主に対し発言する人もいると予想される。そう、上記のような自慢話をしている人間である。こういう人に対して、担当者は正しい説明をしないといけない。

勿論、こんな個人匿名ブログや、社会保険料について専門外なのに、検索をかけた情報をもとに偉そうに語る人間の発言も信用してはいけない。きちんと正確な情報を発信している人から正しい知識を得よう、という話である。