けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

就職活動の志望動機についての考察

新入社員とかの座談会が会社のホームページに載せてあったりする。その時にほぼ確実に各自が志望動機を言っているが、その一番は

「人の役に立ちたい」

だと思う。これがどうも私はピンとこない。というのも「人の役にたつ」というのは当たり前のような気がするのだ。その会社でないとダメな理由、その会社を選んだ理由になっていないような気がするのだ。志望動機として弱い、と思うのだ。

だってそうだろう。人の役にたつからこそ、金銭という対価が得られるのだから。

だが一方で、会社のホームページに載せているということは、会社自体がそれで良しと思っている、とも思えないだろうか。勿論、企業分析をしていて、その結果自社を選んだというところまで踏み込んで面接で話している可能性が高い。そしてその企業分析そのものを会社のホームページに載せないからともいえる。

では「人の役に立ちたい」をオッケーとしている理由は何か。面接の場では、これまでの自己の経験から、こういうことがしたいという思いがあって、それが実現する会社として多くの同業他社や、似たような仕事の中から今の会社を選んだ、という流れが自然だ。

だから、「人の役に立ちたい」というのは表に出しても当たり障りのない表現を選んでいる、ともいえる。

人の役に立つならば、わかりやすいところを言えば、警察、消防、病院、介護だろう。警察、消防は鍛えないといけないところでもあるし、病院となると医師か看護の学校、学部に行くのが近道だし進路としてはそれが、志望動機としてはわかりやすい。だとすると普通科、文系の人間が「人の役にたちたい」ならば「介護」の志望者がもっと増えてもいいはずだ。だが、介護は現実問題、人手不足だ。単純にわかりやすい「人の役に立ちたい」という言葉だけでは論破されてしまう。

そこで登場するのが、公務員だ。公務員は国民、県民、市民の為に存在する仕事だ。だからこそ「人の役にたちたい」という志望動機では一般公務員が多いだろう。ではなぜ、介護ではなく、一般公務員か?介護は人手不足なので、職の安定性についてはどこの会社でも働ける。だから安定性ではない。となるとわかりやすい。社会的評価の高さ、賃金(退職金)の多さ、休日(有給、育休取得率)の多さ、心身の負担の少なさ、夜勤が殆どないこと、これを重視して介護職より公務員を選ぶ。介護部門というのは国、県、市どこでも存在する。同じ「人の役に立つ」介護に携わる可能性があるのに、一般公務員を選ぶのは何故かというは、繰り返しになるが上記の赤字の項目が該当するわけだ。裏を返せば、介護職が不人気なのはこれらが足りない、または足りないと思われているからだ。例えば一般公務員に介護職の人手不足を補うために介護職に代われといわれても同意する人間は少ないであろう。ただ、一般公務員という地位と収入を保持したままなら同意する人間はある程度はいるだろう。単純なことだし、公務員はわかっているはず。だがやらないのは、その地位を守りたいのに他ならないし、今公務員でなくてももしどちらかを選ぶとなると、一般公務員の介護部門を選ぶ人が多いのではないかと思っている。仕事の適性というのがあるが、これは正直いってやってみないとわからない。だから適性、というのは一度チャレンジする機会、経験をもたないとわからない。そうなると複数の経験ができる定期異動のある公務員の方がやっぱりお得なのだ。(事務仕事や法律用語を読むのが嫌いな人は答えは変わるかもしれない。)

長い前振りになったが、「人の役に立ちたい」というのはつまり上記と同じようなものなのだ。自分の社会的評価と給料と休暇を確保したうえでの人の役に立つことを望んでいるということだ。

いっておくが社会的評価と給料と休暇を重視することは何も悪くない。もてたい、家庭をもちたい、裕福になりたい、健康でいたいという欲求はなにも悪くない。(別に介護が逆だという意味ではない。介護でも給料が高い人は今や結構いる。企業にもよるが一般事務より給料は多いと思う。また公務員も最近はブラック化しているらしいので、あくまで公務員と介護は一例としてお読みいただきたい。)

ただ、社会的評価、給料、休み、という希望を言うのが面接では何故かご法度なのだ。何が悪いのかと思うが、多分仕事で成果もあげていないのに社会的評価とか給料とかを望むな、ということだろう。

やはり「人の役に立ちたい」という志望動機はどうも弱い。それを面接官がわかっていないはずがない。求職者側がどう言うか聞きたいと思っているのだろう。

ちなみに私は新卒の入社面接をしたことがない。だからここが謎なのである。やはり志望動機というのは「どうして自社への入社を希望したか」ということだろう。その答えが「人の役に立ちたい」では私だったら腑に落ちない。一回文章を書いてみたら自分で整理できるかと思い書いてみたが、答えはでなかった。やっぱり、ホームページ用の文章なんだと思う。そして、私は本心で「人の役に立ちたい」という理由で仕事を選んでいない、ということに気づく。お金を稼ぐというのは、どこかで人の役に立っているはずなのだから。

でも何かしらその会社を選んだ理由があるはずなのだ。憧れた理由があるはずなのだ。それを上手く面接用にアウトプットされたものが「志望動機」なのだ。

ちなみに私は一番最初の会社で色々言ったが(会社がバレるので内容は避ける)何番煎じで、面接官が飽きてしまった。そして結局面接官にバカ受けしたのは「人を裁きたいから」だった。なんで言ったのか今では覚えていない。もう落ちたと思い、ネタに走っていた。ただこの話が後に知ったが人事内にも広がったようで、私はリストラの仕事に20代で就いた。その発言が、今でも転職しても人事に関する仕事に繋がっているのだから、世の中わかったものではない。

そしてまた気付く。私はやはり人の仕事にまつわることに興味がある、ということに。リストラ関連の仕事もそんなに苦にしていない。リストラ、というのはその職、その会社の仕事に未来がない、ということだ。無理にしがみついてもそこから挽回できることはほとんどない。だからこそ、これからどういう仕事につくのか興味がある。正直、民間企業に勤めてリストラの対象にならない保証など誰もない。どう仕事をしていくのか、というのに興味がある。ここからなんとでも話は書ける。つまり、やはり私は人の仕事に興味があるのだ。この話をもし会社のホームページに載せるのならば、そのままは使えない。そうなるとやはり「人の役に立ちたい」に近いような美辞麗句の言葉に置き換わるだろう。うん、やはり「人の役に立ちたい」というのは大きな括りの、それだけでは答えにならない志望動機なんだろう、という結論に至った。

尚、答えは日々変わるであろうから、後日考えが修正されるかもしれないが、記録として残しておくことにする。