けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

周りのために「感情の抑制」し続けてはダメだ。

今日、確定申告とか用に給与明細とか医療費の明細を探していたところ、2008年に医療機関で心理士から受けた性格診断の結果の紙をたまたま見つけた。

そこにはこんな風に書いてあった。

「周りとの調和を重んじるあまり、自身の感情を抑制し続けていることが、あなたの心身の不調の原因となっていることを自覚してほしい」と。

さて今私の家は補修工事をしている。駐車場を工事業者が朝8時30分から17時すぎまで使っている。家には2台分しか路駐するスペースはない。1台は別の家族の車用。そこで日曜日以外は、車で外出して外のどこかで過ごすことになる。いつまで来るかはわからず、工事の工程も業者の進捗状況み次第で前日までわからない。ここ2週間、日曜日以外はどこかに出かけると、業者が帰るまで家に帰れず外で待つ羽目になっている。

そんななか工事のない日曜日、業者を気にせず、車で朝用事ででかけ帰宅したところ、家族が何を血迷ったか2台分入る車の前に駐車させていて駐車できない。タイミング悪く後ろから通行したい車が来てクラクションを鳴らされた。

私の抑圧していた怒りが爆発した。「何を考えているのか!車をもとの位置に下げろ!」

母が反論してでてきた。「外で話すな。お隣に聞こえる。よそ様に恥をさらすな!」

そんななか気づいたのである。そう、これだと。

近所の皆様に悪く思われないように。間違ったことをしたことを知られないように。よそ様の視線と耳を気にして、気にして、気にして。後ろで進めない車の迷惑よりも、私が駐車できないことよりも、なぜ前に駐車したかよりも、ご近所の評判。それが子供のころからの母の基準であった。75歳過ぎた今でも、この基準は変わらない。いや、年老いて余計にひどくなっている。悪く言われないか、何をしているのか、いつも気にしている。

この基準に私はどっぷり頭を押さえつけられていたのだと。

年老いた母を今更責めても仕方あるまい。

ただ気づいたのだ。

この抑制が自分を苦しめていたのだと。周りの評判を落とさないことばかり気にすることが頭の中にしっかり刻み込まれていることを。間違っていることは間違っていると声をあげることを抑制し続けたことを。周りのために自分の感情を抑えることを。周りに悪く思われないよう神経を尖らせていたことを。そして、それがストレスの滞留に繋がることを。

怒れ、感情的になれ、といっているわけではない。

ただ、感情を抑制し、自分が我慢することで解決しようとすることを続けていてはダメだ。