けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

不安・怒り・焦りに振り回されない方法

ここ数年の私の悩みは、「怒り」「焦り」「不安」に振り回されていることだった。

仕事中に些細なことで「怒り」、早く〇〇しないとと「焦り」、〇〇になったらどうしようと「不安」になっていた。

そうなる原因は、「失敗を恐れていること」であり、「他人に高く評価されたい/悪く思われたくないため」であり、自分の評価が落ちないよう、失敗をしないようにするためには〇〇しなければならないというある種強迫的めいた義務感によることは自分では理解できていた。

そこまではつかめていた。

だが、問題はその原因となるものを取り除こうとすればするほどその意識は強くなることであった。今この時に集中するいわゆるマインドフルネスのようなものに取り組んだとしても、どうしても頭からは離れない。睡眠中、悪夢にうなされることもあった。取り除けないのである。どうしたものかと思い悩んでいた。

しかし、最近何冊か本を読んでいるうちに教えられたのだ。そしてふと感じ取ったのだ。「この感情はあってもいいやという風に思えばいい」と。*1

するとどうだろう。「怒り」「焦り」「不安」が頭や心に渦巻いていても、自分のなかに今「怒り」「焦り」「不安」が渦巻いているな、ちょっと時間をおこう、と冷静になっているもう一人の自分がいる感じがあり、その冷静な自分がその感情を抑えてくれるようなのだ。

勿論いつでも「怒り」「焦り」「不安」を手懐けられているわけではない。ただ、それらはどうやったって発生するものとして受けいれると、その頻度が少なくなり、その大きさが小さくなっている気がするのだ。

そういえば、メンタル疾患から改善するきっかけになったのは、治そう治そうと思っている時でなく、どうやったら治せるのかと色々調べていた時ではなく、「もうなるようになれだ、受け入れよう。このまま働けなければ貯金がなくなるまでの人生でいいではないか」とある意味開き直ったからだったと記憶している。

どうやら脳というのはそういうものらしい。手放そうとすればするほど手放せないのはより記憶が定着するからで、好きにすればいいと思っていれば記憶が薄れるとともにいつの間にやらいなくなる、というものみたいだ。

そういえば、今のこのブログ名は「ケ・セラ・セラ」からとっている。なるようになるさ、という意味である。最初からわかっていたじゃないか、伏線回収だかな、と苦笑した。

その他、「体調」「睡眠」「運動」がこの感情を抑制するのに役立つというのも理解した。

ここからは、自分なりのメモである。後日、別の記事にて改めるか、この記事を修正するかもしれないが自分の備忘録として残しておきたいので以下記すこととしたい。

不安…

不安というのは将来のことである。つまり、まだ起こっていないことについて悪い結果を予測して怯えることである。この発生は過去の記憶から、同じ轍を踏まないために脳が作り出すものらしい。

これについては色々な本で理解したが、理解してもその発生を防げない。だが、そもそも防ごうとすること自体が不可である。なにせ脳は自分の身に起こる危険を防ぐという役割を果たしているのだから。その役割はとても大事なことである。だから発生することはやむをえないことと受け入れることである。

そして対処法とすれば、まず、予期不安が起こっても、それが命を取られるものようなものでない限りは”逃げない”ことである。逃げることでより不安は記憶に定着する。そして、さらなる不安を呼び込む。一度逃げると、再び同じような不安がさらに増大して舞い込む。いっそ挑むことで取りこし苦労であった場合は、脳の記憶からそれが生命の危機ではないと記憶する。その結果、不安は減少する。

また予期不安通りに悪い結果が起こってもそれを受け入れることである。つまり失敗を受け入れる。失敗しても、失敗した結果が記憶に残る。それが生命の危機であるのならば記憶に残るべきだし、悪い結果であっても生命の危機のレベルでなければそれはそこまで不安になることではない。注意すべきは、失敗をするということを受け入れること、恥をかくことを受け入れること、そしてその失敗や恥を公開するのではなく、次に活かすつもりでいることである。

また、呼吸も大事である。別に水の呼吸とかではない。大きく時間をかければ呼吸すれば多少落ち着く。

あとは、午前中ならば昼ご飯を食べてから行動することである。人間お腹が空けば頭も回らないし、心の許容量も小さくなるようだ。

なにより将来の悪い話と言うのは、大抵は想定外である。つまり、不安的中になることはそうそうない。医師の余命宣告や病気の悪化は不安とはちょっと違う。それは統計による客観的なデータである。

焦り…

これは私の場合だが、どうやら不安が大きいのは「焦り」が悪さをしているのではないかと思っている。「焦る」から、「不安」を減少させるためには行動することや調べることが重要であるのだが、焦るとその行動や調べている間も手につかず不安が収まらない。

つまり、「焦り」と「不安」はきっても切り離せない。

尚、わたしは其の日できることは其の日の内に終わらせておきたい性分である。悪い心掛けではないと思うが、なんでもかんでも思いたったらできる限り早めに終わらせたいのである。

それはなぜか。恐らく、忘れないように記憶に残そうとしたいから。それは余計な負担がかかる。そして忘れるという失敗を、忘れた結果期限を守れなかったという失敗をしたくないから。早く処理することは他人の評価が高まるから。だから、気がかりなことを残したままにするのはフラストレーションがたまる。今日中に片付けて安心して1日を終えたい。

逆に処理しないと落ち着かない。やらなければという義務感が残ってしまう。いやな気持が明日に持ち越される。睡眠中夢に出てくるからである。

だから早めにやろうとする。その結果、焦る。焦ると失敗する。見落としのミスを犯す。落ち着いて処理すれば起こらないであろうミスを犯す。頭が固くなり、融通がきかなくなり、視野が狭くなり、交渉事も失敗する。

だから、自分が今焦っているな、と思ったら、その気持ちが収まらないなら、明日に延ばす。期限がまだなら明日に延ばす。来週に延ばす。最悪期限ぎりぎりまで延ばす。それを繰り返せば焦りは減る。そして思ったほど評価は落ちないのでないか?悪いことは起きないのではないか?そして今、それを実践しているところである。

勿論、普段から期限を破ったり、遅刻しても反省しない人用の考えではない。

*1:最初は「強いメンタル」を持っていると自負するか、そういうイメージを持つ著名人の本を読んでいたが、私の問題の解決には至らなかった。彼らにとっては自己解決済みか、悩みのタネではなかったからであろう。