けーせらーせらー

仕事、メンタル、労働法、転職、書評に関するエトセトラ

他人を変えることはできない。しかし、自分の意見を言わないという意味ではない。

メンタルに関する本に良く書いてある言葉がある。それは

「他人を変えることはできない。」

年齢を重ねるにつれて、これを実感している。他人を変えることは自分と同じ考えを他人に強要させることと同義でもあるからである。逆の立場になればわかるはずなのだが、若気の至りと言うか、理想主義というか、年寄が諦めただけだという反発というか、より良い考えというのは共有できるものだと思っていた。そして、変えようとしても変えられないからイラついていた。

年を重ねるごとに、他人には自分の知らないそれぞれの考え方があり、感じ方があり、事情これまで培った経験がある。それを踏まえて今の行動をしているわけであるから、それを変えようとすること自体は無理に近いし、時間をかけても変えることは難しい。

だが、だからといって、他人の言動に対して何も言わない、というのはイコールではない。

確かに他人には他人の生き方がある。ただ、人間誰しも気づかないことだってある。ミスはわざとではなく、単純に見落としている可能性が高いのだ。だからその見落としは指摘しなければ伝わらない。事故を生む可能性がある。他人を変えるわけでななく、他人が気づく場合はあるのだ。

勿論言い方もある。感情的に言えば、説教くさく言えば、納得できるかどうかではなく、反発を生むだろう。だからといって、こちらが下手にでる必要もない。ただ感情や主観を抑えて常識なんて言葉を使わずに事実を伝えることは大切だと思う。

これからは感情的に発言することは、パワハラ扱いになる可能性がある。だからといって指導を放棄せよ、という意味ではない。冗談だ、指導だと正当化する必要もない。

ただ、感情的な侮辱的な言い方はせずに、事実を客観的に伝えて、改善を促す話し方、伝え方というのはこれからの時代、必要になっていくと思うのだ。

余談だが、パワハラを排した先に組織の労務管理として待っているのは、

①できる人だけでき、やらない人はやらない状態となり、属人的な組織になるか、文句だけ言う口だけの人間だけ残り、できる人に去られて組織が腐っていくか

パワハラにならない管理方法を確立していくか

③できない人から指導もせずに去って行ってもらうか

この3択になっていくのではないかと思っている。